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  • sakura-tokyo

#15 思い出探訪



先日、かみさんのお供で明治神宮にお参りした後に国立競技場を外から眺めてきました。

路肩上にあるコインパーキングに停めたので、一時間程度の散策ですがw


昔・・・もう四半世紀以上前なのですがw

僕はこの近辺でバイトしていたことがありました。

それ以降この近辺には用事もないので本当に久しぶりです。

記憶も薄れているので、当時の面影もあまり見つけられず知らない街になっていました。


そんな中でも変わらず雄姿を誇っていたのがホープ軒です。

コロナ禍で大変そうですが何とか頑張ってほしいものですね。


でも実は、ホープ軒の隣にあったラーメン屋の方が美味かった記憶がありますw

そちらは既にありませんでした。


当時、僕がバイトしていたところは「日本青年館」でした。

その中にあった「日本青年団協議会」略して「日青協」でバイトしていました。

ホテル時代の先輩がそこでバイトしていて、人手が足りないからと声を掛けられました。

ホテルの仕事をやりながら内緒でバイトしていましたw

以前も書きましたがホテルは夜勤がメインだったので、夜勤明けで手伝っていました。

体力だけはあったので楽しくやっていた記憶があります。


バイト内容は「全国青年大会」事務局のバイトです。

調べてみたらいまも行っているのでHPからその文言を抜粋すると


各都道府県にある「青年団」の若者たちが日頃取り組んでいるスポーツや文化活動の発表の場として、各都道府県の予選大会を経た代表約2,000名の若者が東京に集まり、4日間にわたり、参加者一人ひとりが日頃の成果を競い合い、参加者との間で連帯や友情を深めあいます。


とのことです。

このバイトで初めて「青年団」を知りました。

こんな世界があるんだ、とカルチャーショックを覚えました。

実は上記の「若者」の中には多数のおっさんたちが含まれています。

期間中日本青年館のホテルが貸し切りになるのですが、夜は宴会で盛り上がっていました。

翌朝廊下の酒臭さといったら・・・

これが「若者?」とカルチャーショックを覚えたことも思い出しましたw


このバイトは期間限定のバイトで開始時期は初夏より少し前だったと思います。

多数の人や会場を押さえるために、リストをチェックして大量の委任状を送付する仕事から始まって、場所の設営やそのスタッフ達の手配もした記憶があります。

大会開始前に学生バイトを連れて、旧国立競技場に国旗や青年団旗を掲揚に行きました。


ショーのような出し物はないですが、規模の小さいオリンピックのような開会式もあり、当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)も参列されました。

そういえば開会式の終了後に殿下の忘れていった菊の御紋入りの煙草を1本貰って吸いました。確か「いこい」だったかな?


事務局なので観戦や鑑賞はできませんでしたが、大ホールで行われる郷土芸能の練習風景は、とても素晴らしくて感動しました。


大ホールといえば、バイト仲間の女の子と一緒に忍び込んでステージでシャウトしてたらw

映写室?調整室?に人がいて見られていたのに気づいて大慌てで逃げ出したことも思い出しました。恥ずかし~w


当時の建物は新国立競技場の建設のために全て無くなってしまいましたが、ホープ軒の道を挟んだ反対側に長方形の広場があって、その奥に日本青年館は建っていました。

雰囲気のある古い建物で、SFマニアの年配の(といっても、今の僕より確実に若かったはずですがw)フロントのスタッフと仲良くなって古いSF小説の単行本を貰いました。

いまでも本棚の奥にあります。


事務局のリーダーは日青協の若手が担当します。

そのリーダーが映画マニアで、僕とリーダー、僕をこのバイトに誘ってくれた先輩の友人の3人で短編映画を各人1本、計3本撮りました。

ビデオではなく8mmフィルムです。

何故か僕は当時中古で買った8mmカメラを持っていました。

ニコンのR8という機種で今もどこかに仕舞ってあるはずです。


映画のテーマは「愛」(笑)

数分の短編を繋いだオムニバスで、日本青年館の会議室をタダで借りて上映会もしました。


僕の作品は、麻薬の売人が最後ビー玉になって散らばっていくという気が狂った短編です。

ホテルの先輩に俳優さんがいたので主役を頼みこみ、歌舞伎町から始まってゴールデン街、そして花園神社までのロケを敢行しました。


歌舞伎町のソープ通りで撮影していたらポン引きに

「許可とってんのかコラ~!」

と脅され、火のついた煙草を手に押し付けられて慌ててみんなで逃げましたw


リーダーの作品では僕は主役でした。

血まみれのメイクで極寒の冬、奥多摩の川に膝まで浸かりながら団扇くらいの特大おにぎりをむさぼり食ったりw

川沿いの細い道を木刀を振り回しながら全速力で走り叫んだりしました。

すれ違ったおばちゃんが腰を抜かしそうになって驚いていました。


楽しい思い出ですが、そのリーダーも大分県の実家に戻ってしまって音信不通です。


日本青年館に隣接した長方形の広場では「秋まつり」というフリーマーケットが行われていて、翌年はそちらの手伝いをしました。


今回移転した新しい日本青年館ものぞいてみたのですが、当時の面影は全くないモダンな建物になっていました。

さみしい気持ちもありますが、これも時代の流れですね。

かみさんと1Fのハンバーガーショップでコーヒーをいただいて帰りました。


我が家のリビングの隅っこには、その大会終了後に記念に貰ったバスケットボールがいまでも転がっています。

もう空気は抜けて押すとヘニャヘニャですが、ボールの丸い形は留めています。


多分まだ何年もこのまま転がっているんだと思います。



文責

桜栗英人

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