- sakura-tokyo
#5 ジャパニーズきものぶる~す
今回は業界の暗部を切り取ります。
僕の人生で唯一のバイオレンスな出来事でもあります。
僕がまだピンク色だった20代の頃、数ヶ月着物屋さんで働いていたことがあります。
そこは当時、着物業界ではかなりイケイケな若い会社で、確か福岡県に本社がありました。
その会社が東京に進出してまだ間もない頃で、幾つかの店舗を都内に持っていました。
実は店舗での営業がメインではなく、展示販売会が主な稼ぎ頭の会社でした。
数日間の研修の後、私の配属されたのは笹塚店(東京本店だったかも)
各地の展示会場を借りて新聞広告を打ち、数日間の大セールでお客様を集めていました。
通常着物の販売は、販売員も着物を着て販売するイメージですがここは違いました。
上はコットン製の白シャツ、下は黒いパンツで、よく覚えていないのですがあれは制服だったのかな?女性より若い男性が多い会社でした。
各地での販売会の売りは「お仕立て全て込みで10万円!」の着物でした。
これが当時はびっくり価格だったのでしょう、結構なお客様を集めていました。
振袖や留袖、訪問着等種類も豊富でした。
10万円ポッキリは実は香港仕立てだったんですけどねw
ちゃんと説明はしていました。
お客様が買う気になってから説明していたので、グレーといえばグレーですがw
まあ安いからしょうがないか、って思っているのが手に取るように分かりました。
もちろん高級な着物もありました。
そちらは安定の日本仕立て。
これが売れた方が気持ち的にも楽で嬉しかったですね。
一番勧めやすかった、螺鈿の入った黒留袖とかは20~30万円くらいだったかな?
(それでも安いですよね)これを一番売った記憶があります。
この会社は体育会系のノリでデザイナー兼務の社長もイケイケ
ニューヨークのメトロポリタン美術館で、日本初だったかな?
着物のファッションショーを行ったことを売りにしていました。
その映像を展示会場や店舗で流していました。
洋風な色や柄の着物でランウェイを歩く外国のモデルさんは、崩した着こなし方もお洒落で確かに素敵でした。
仕事のサイクルは1ヵ月の中で数日が店舗、それ以外は展示会でした。
ある時、数店舗合同の展示会が池袋の東武デパートでありました。
まだ東武が新しくなってそれ程経ってなかったと思うので、綺麗な会場だったはずです。
社長も気合が入っていたと思います。
何日か前に店舗のみんなで焼肉を奢ってもらったしw
販売会初日(もしかしたら最終日だったかな?)
売り上げは芳しくありませんでした。
その日の終了後、全員が一列に並ばされ正座させられました。
社長から全体への強い叱責の後、個別に社長が詰問&叱責します。
その人への叱責が終わると最後に「ばしっ!」と平手で頬を張ったり、頭を叩いたり・・・
社長がこんな人なのは分かっていました。
前日だったかな?女の子の頬を張っていたのを目撃したんです。
そして僕の番が来ました。
強い叱責の後、頭に向かって平手が飛んで来ました。
僕、思わず避けちゃったんですよね~
スカッと空振りした後、凄い目で睨まれました。
2発目が来るか!?
と思ったら
「帰れ!」
の怒鳴り声
しょうがないので控え室で着替えていたら社長が飛び込んで来ました。
ファイティングポーズを取って
「やるか!来るか!」
と挑発してきます。
こうなっては、もう逃げられないので覚悟を決めました。
実は社長は「極真空手の黒帯」(自称)でした。
ムキムキの肉体を誇示してたしねw
僕はメガネっ子なのでメガネを置いて準備しようとするといきなり顔を張られました。
僕も反撃するのですが当たりません。
その時、他の人たちが大挙して部屋になだれ込んで来て2人を止めてくれました。
マジ命拾いしたよ~w
その後、みんなは僕たち2人を椅子に座らせて落ち着くように言っていましたが、社長は構わず説教を続けます。
僕は「手を上げるのはオカシイ、特に女の子に」とか言ってたと思います。
そこでまた僕の頬は張られます。
間髪いれずに張り返すと初めて当たりました。
そこでみんなが止めに入ります。
(なんだかコントみたいだなw)
とにかくもう帰れということで帰ったのですが、多分社長は手加減していたと思います。
最後まで平手でした。
まあ黒帯が拳を使うと後が不味いからだとは思うのですがw
数日後に日割りの給料だけ取りに行くと、店長が寂しげな眼差しで笑っていました。
店長、本当にごめんなさい・・・
バイオレンスというより、なんとも情けない話でした。
その後、1週間以上顎と首が痛くて難儀しました。
似合わないことをするもんじゃないですね。
平和が一番です。
何年か前にふと気になって調べたんですが、会社はその数年後に倒産していました。
やはり社長はパワハラ気質の人だったらしく、その手の思い出話を書いている人も散見されました。公正取引委員会に嵌められたと社長は言っていたらしいですが、真相は定かではありません。負債総額は不明ですが、年商は130億円程あったようなのでそれなりの話題になった模様です。
倒産後に社長はその顛末の本も出版したそうです。
この時の教訓は「似合わないことはしない」ですw
その後様々な場面で生かされました。
文責
桜栗英人